共生って?

ふと、共生について考える出来事がありました。

 

うちの娘は難聴で、絵本を読む時は、一番前に座らせてもらってます。

 

で、最近、うちの娘は、絵本の時は、当然自分は一番前だということで、前に人がいてもババっと割り込んで入ってくるようで、周りの子がちょっと嫌だなという感じになっていたので、「聞こえづらいから、前に座らせて」って言ってからねと教えてもらったようで、それ以降は、前に人がいたら、ちゃんと「聞こえづらいから前に座らせて」と言いだしたとのことでした。

 

 

確かに、どんな障がいがあっても、「やってもらって当然」という態度になるのはよくないことで、感謝の気持ちは大事だと思います。

 

でも、毎日顔を合わせる同じクラスの仲間内で、毎回毎回、「聞こえづらいから前に座らせて」って言う必要はあるのかな?

同じクラスなら、1回、このことについて話すなりして、「○○ちゃんは、聞こえづらいから、絵本のときは、一番前に座っていい?」と、合意を取っておけばいいんじゃないかな?

もちろん、合意を取ったからって、「当然や!」という態度で入ってくるのはよくないけど、仲間内では、いちいち言わなくても、ありがとうって思って定位置に座ればいいんじゃないのかな?

 

周りも、「○○ちゃん、前においでよ!」

誰かがうっかり前に座ったら、「そこ、○○ちゃんの席だよ」「あ、そうやった!」

というような関係性の方が健全じゃないのかな?

 

もちろん、初めての場所とかでは、ちゃんと断りを入れることは必要だけど、毎日顔を合わせる仲間同士なら、いちいち言わなくてもわかりあってる関係性の方がいいんじゃないのかな?

 

そんなことを思いました。

 

もちろん、断りをいれることを教えてもらったのは必要な事だったんだけど、同じクラスの仲間なら、分かり合えている関係性の方がいいですよね。

 

何でもやってもらって当然という感覚はもちろんよくない。
でも、お互いわかりあったうえで、いちいち言わないというのが、本当の共生じゃないのかな。

 

いつもいつもやってもらってる、

いつもいつもやってあげてる

という気持ちを持つのは、何か本当の共生じゃないですよね。

 

仲間うちなら、いちいち言わなくてもわかり合える関係性をつくっていきたいですね。

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コメント: 2
  • #1

    グレーママ (火曜日, 04 7月 2023 16:57)

    こんにちは。
    うちの子は出生時高度難聴70㏈で人口内耳と迷いましたが、補聴器時代を経て言語習得し、今は普通学級で手帳なしレベルで日常送れています。発音も明瞭で、地域の方便もちゃんと使えてます 笑。
    ただ聴力検査をすると全体的に聴力は弱めで、高音の反応が低めになっていますので、家族では子音をはっきり目に言うなど微妙に配慮しています。
    保育園時代は先生に言語療法士との療育についてきてもらったりして、補聴器の扱いも含めて、直接解説いただき理解ある園生活できておりました。園のお友達も補聴器あるし、助けなきゃという姿勢で、対応を理解して思いやりのある組で過ごさせてもらえました。
    小学校に上がるときには入学前に面談し、聴力だけでなく視野狭窄や足の突っ張りが少しあるため、座席を、聞こえの良いほうの右耳が先生の近くになるように前側にしてもらったり、教室移動の時にも余裕もって他の子みて集団行動からはぐれないようにお願いしていました。
    今年、中学校にあがりましたが、事前面談をする機会がなかったので、健康表などに細々書いておき、1学期の初めの個別懇談の場で担任に訴えました。担当の先生が若く、「お願いが…」と話しはじめたときにも「読みましたのでわかってます。」と言われ、ちょっと心配していましたが、さっそくくじで席替して一番後ろの席になってしまっていました。。。思春期の息子なので、「聞こえてる?」と聞くと「大丈夫」としか答えませんが、先生も聞こえに対して理解が薄くて、軽くみているのではないかと心配しています。
    まだまだ実害というほど具体的に問題が出てきたわけではないですが、30にんもの学級くらいの人数になると、ちょっとすると忘れられてしまう状態になりやすいと思います。
    困る状態になったときは、「先生、僕一番後ろだと聞こえないです。すみませんが席かえてもらえないでしょうか」「うっかりしてた、ごめんよ」とか「先生、○○くん、前の席にしないと聞こえにくいと思います」「ありがとう」など、自身で主張したり、友達に助けてもらえるよう、日々感謝や状況訴求はできるようにしとかないとなと思います。
    大きくなってくると恥ずかしがったりして不都合でも我慢してしまいます。仲いい友達でもやはり人のことは分からないものです。面倒でも、卑屈になることなく理解してもらう努力をできるようになることは必要かなと思います。
    (今は補聴器をはずしていますので、見た目で区別はつかないのです)

  • #2

    そらいろ 岩尾 (火曜日, 04 7月 2023 20:25)

    コメントありがとうございます。
    卑屈になることなく理解してもらう努力をできるようになることは、本当に必要だなと思います。
    すごく理解があると思っていた人でも、フォローのお願いをすると構えてしまって、
    「できる範囲で対応してますので」などと言われてしまうこともあります。
    こちらも普通に自然に正当なお願いをしているだけですが、そう構えられると対決姿勢にもなってしまいます。
    「合理的配慮」という言葉のニュアンスが悪いなと最近はよく思います。
    本来の法律のニュアンスは「積極的サポート」です。
    聞こえないからこうしてもらえませんか?
    そうなんだね!じゃあ、どうしたらいい?
    本来は、こういう動きをしましょうねという法律なんですけど、
    「できる範囲でやります」
    「できる範囲しかしませんよ」
    のような感じになってしまうこともあって、そういうときは非常に残念に思います。
    思春期になると、また本人が言わなくなることもあるので、なかなか難しそうですよね。
    だからこそ、小さなころから聞こえないことのフォローが自然に普通にできるように、各地でそういう動きを起こしていきたいなと思っています。
    ありがとうございます!