こんにちは。岩尾です。
新年度になりましたね。
おかげさまで我が家の愛娘も今月から小学生です。
6年間通った療育センターとは一旦お別れです。
それにしても、難聴児の療育というのは、かなり先駆者がいるのにもかかわらず、進路選択の考え方とか、療育の目安など整理されたものがなく、当事者にはなかなか見えづらいもので、経験してからと、たまたま出会ってからと、こちらで情報を取ってやっとわかってきたという感じです。
今日は、その中で、手話と口話、そして聴覚活用について、思うところをお話しします。
聞こえづらい子はどうやって育てるのがいいのか?
大きくは2つあると思います。
・聞こえないんだから手話が自然だ。
・少しでも聞こえているのであれば、わずかな音と口の動きを見ながら口話で生活できた方がいい。
そして、最近の主流のようですが、
・聴覚を最大限活用して生活する。(距離にもよりますが、補聴してスピーチバナナの音が全て聞こえていること)
この聴覚活用は、AVT療育(教育)(オーディトリーバーバル)と呼ばれていまして、極力口の動きやサインなどに頼らないで生活の中で聴覚を活用できるようにしていくもので、口話とは少しニュアンスが違うかなと思います。
では、どの方法を選ぶのがいいのか?
当然、このやり方が正しいという正解はありません。
同時に、どの方法はおかしいということもないと思います。
言うならば、
「子どもの状況と家族の考え方によって、ベターな選択がある」
ということでしょう。
しかしながら、ある方法を否定する論調もよく聞かれます。
例えば、聞こえないのだから、いくら練習しても不完全な口話を使うより、手話を使うべきだという論調もあります。
気持ちはわかります。
昔は、手話は禁止!口話ができるようになれ!ということで、一律に口話を推進した時代がありました。
しかし、口話がある程度できたと思って地域の小学校へ行くと、自分の口話が全く通用しないし、相手の言葉もわからない。
どうしょうもなくなって、手話を使うろう学校に入っても、手話がなかなか覚えられない。
口話もできない、手話もできない、自分は一体何者なんだ?と自分を責めてしまうというケースが何例もあったようです。
このような事態は当然改善しなければいけないと思います。
そして、同時に知っておかなくてはいけないのが、口話を使える条件についてです。
言葉というのは、耳ではなく、脳で聞くと言われています。
そして、このシステムを聴覚活用というようですが、2歳までに聴覚を使っていると、うまく働くようになることが多いようです。
ただ、2歳を過ぎてから使いだしても、聴力によっては、うまく聴覚を活用できるようになるケースもあるようです。
昔は、新生児スクリーニングがそれほど浸透してませんでしたから、2歳以降に難聴が発覚するケースも多かったでしょう。
もし、100dBぐらいで、2歳まで聴覚を活用してなかったとしたら、聴覚を活用して口話を使うのは難しかっただろうと思います。
そこまで悪くなくても、今のデジタル補聴器の性能に比べると、昔の補聴器はまだ性能が落ちる面はあったはずなので、80dBぐらいでも聴覚活用は難しかったかもしれません。
(当然個人差はあると思います)
こういうことがわかってきているので、しかるべき聴力があって、0歳から聴覚を活用して、性能のいい補聴器をつけたり、人工内耳にしたりすれば、口話でやっていける例は多くなるはずだと思います。
そして、これは、当然、相手の協力も必要にはなりますが。
ですので、口話は一律にダメだという意見は違うのではないかと思います。
また、逆に、しっかり聴覚活用ができていても、手話の方が自分を表現できると感じる子もいると思います。
だとすれば、手話で生きる道ももちろんあるわけです。
そして、手話で生活する選択、口話(聴覚活用)で生活する選択、どちらもメリットやちょっとしんどいところなどはあります。
でも、それを理解した上で、じゃあどうしようかと考えればいいわけです。
それから、手話なら、手話だけしか使ってはいけないわけではありません。
ろうの方でも、口の動きも併せて手話を使います。
(完全なろうの方は口の動きを使わない方もいるようですが)
もちろん、口話ができるなら、ある場面では口話を使ったっていいわけです。
AVTは、極力サインも口の動きもなくし、生活の中で言葉のみで生活して聴覚活用を発達させる方法のようですが、人工内耳で30dBぐらいになった人がど真ん中のターゲットのような気がします。
補聴して50dBぐらいなら、スピーチバナナが全部聞こえているとしても、全てをAVTでするのはきついのではないかとも思います。
また、30dBあったとしても、個人差はあるので、聴覚活用だけでは難しい人もいるはずだと思います。
訓練と位置付けたときには、サイン無しで行うことはもちろんありますが、子どもがリラックスできる時間と方法を見極めて、生活の中でそういったやり方を取り入れることも大切なことではないかと思います。
AVTを活用したエビデンスでは、活用してない人より早く言葉を覚えたというデータはあるようです。
また、うまく活用できているというデータもあるようですが、具体的な差まではわかりません。
そして、その差がいずれは埋まるのか?
埋まれば問題はないとは言い切れませんが(埋まらないがために辛い出来事に会う可能性はあります)、埋まるのであれば、少し長めのスパンで見据えた方法もあるのではないかと思います。
差があったとして、いずれは埋まるのかについては、正確なエビデンスがほしいところですね。
いろんなやり方や主張を見て思うのは、正しい一つの選択があるわけではなく、正しい一つのやり方があるわけでもないんじゃないかということです。
だから、一方が一方を批判するのはおかしな話です。
批判されると、こちらもそうではないと言わざるを得ないので、逆にもう一方を批判するような論調にもなり得ます。
お互い批判をするより、お互いいい部分を共有しながら、いいとこどりをしていけばいいんじゃないかと僕は思うんですけど、まあ、専門的な見解からすると、いいとこどりというのは賛成してもらえないかもしれないですけどね。
手話か?口話か?はたまたAVTか?
それは、子どもの状況と家族の考え方によってベターな選択があり、どの選択も、幸せに楽しく生きるためのやり方はあるんじゃないかと思うのです。
これも、今までいろんな経験を先人がしてくれたおかげです。
先人の経験を受け取り、共有し、今の環境・状況を加味しそれを今後に活かすことを考えることが、最も大切な事なのかなと思います。
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