こんにちは。岩尾です。
先月のフォーラムで聞いた話ですけど、ある難聴で口話で生活している人が、いろんな人とお付き合いをして、結婚をされた。
その相手は、難聴で手話を使っている人だった。
健聴の人とも付き合ったことがあるが、手話を使っている人が良かったとのこと。
その理由は、
健聴の人と付き合っているときは、いつ呼ばれるかいつも緊張していた。呼ばれたのに気づかないとなってはまずいから。
でも、手話を使う人は、合図をしてから話しかけてくれるから、いつ呼ばれるかと緊張しなくてよかった。
手話を使う人の方が一緒に過ごしやすかった。
難聴で口話で生活してる人は、話し始めがわかりにくいです。
だから、手とかで、「ねえねえ」とか、肩をたたいてとかで、こちらに注意を引かせてから話し始めると、お互い話しやすいです。
このことを相手に伝えられなかったのかな?
こんなこと言うと、嫌われるかもしれないと思ったのかもしれないし、伝えたけど、なかなかやってくれなくて、何度も言えなくなったのかもしれないですね。
実は、僕も娘に話しかけるとき、「ねえねえ」を意識はしてるんですけど、ついつい、すぐに話し始めることが多く、いつも娘の返答の第一声は、「なに?」です(苦笑)。
言い訳するわけじゃないけど、長年の慣習はなかなか変えられないところはあります。
だからこそ、お互いがお互いを緩い目で見て、少しずつ新しい慣習にしていくことができたらいいのかなと思います。
あとは、何でも言い合えることですかね。
非難し合うのではなくて、「こうしてくれるとやりやすい」ということを言い合えることですね。
ちょっと前に、難聴の子を持つ保護者の方が、「今までは、社会にこうしてほしいとずっと言ってきたけど、こちらも社会に合わせていかないといけないと思うようになった」と言われていました。
こういうふうに思うように至った経緯はわかりませんけど、なんとなく、日本は、「こうしてほしい」というのを言いにくい国なのかなと感じました。
日本は、謙虚をよしとする文化ではあり、それはそれでいいところですけど、それが誤った方向にいって、「こうしてほしい」と言うことが、わがままだ、自分勝手だ、自己中心的だと言われることも多いように思います。
合理的配慮って、こちらが言わないと配慮する必要はないようです。
確かに、言われないとどうすればいいのかわかりませんもんね。
ところが、日本人は奥ゆかしい人が多いからなかなか言わない。
そして、言う人がいたら、運が悪いと、自己中な奴だと思われてしまうこともある。
これでは、お互い過ごしやすくはならないですね。
この前、テレビで、車いすの方が出てて、現在カナダに住んでいるようですけど、日本にきたら、自分を見る目がやさしくないと感じたと言っていました。
かわいそうだなという目、何でこんなところに車いすでいるんだという目、などを感じたと言っていました。
カナダは、多様な方がいっぱいいるようで、そんな視線を受けることはないと言っていました。
やっぱり、理解が広がってないから特異な視線になるんだろうなと思います。
「こうしてくれると助かる」
という言葉、普通に言える社会にしていきたいし、こちらからも、こうすれば助かるんじゃないかな?ということを少しずつでいいので、気づいていきたいなと思いました。
まあ、当面は、今気づいている、最初の声かけを普通にできることからですかね(笑)
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