表情の豊かさをお互い理解し合う

皆さん、こんにちは。

岩尾です。

 

今日は、この間、ふと思ったことを書きたいと思います。

 

娘が難聴ということもあり、難聴の方と接することがちょくちょくありますが、ある集まりで、難聴の方が講演する機会があったのですが、前に映し出す予定のスライドが用意されたパソコンに入ってなかったのか、違うものだったのか、壇上でちょっとトラブっていました。

 

そのとき、難聴の方は、非常に怒った様子でやりとりしていて、それを見た僕は、「そこまで怒るようなことじゃないやろ?しかも講演直前の壇上で。どしたんやろなあ?」と思いました。

 

ところが・・・

後でハッ!としました。

 

難聴の人たちは、手話を交えて話す人も多く、手話って、手の形だけで言葉を表してるんじゃなくて、「表情」も加えて成り立つ言葉も多くあります。

 

手話を使わなくても、「表情」も、有効なコミュニケーション手段の一つです。

 

難聴の方たちは、表情が豊かな人、オーバーリアクションのように見える人たちも多くいますが、それは、大切なコミュニケーション手段の一つです。

 

それを思い出した時、難聴の娘を持つ僕でさえ、まだまだ理解が足りてないなと思いました。

 

おそらく、壇上のトラブルでやりとりしていたあの人は、精一杯コミュニケーションを取ってただけなんでしょう。

その表情の豊かさを、僕は「怒ってると」見てしまった。

まあ、本当に怒ってたのかもしれないですけど、難聴の人のコミュニケーションは、表情が極端になることもあるということは、多くの人に知ってもらいたい事実ではあるなと思いました。

 

特に日本人は、謙虚を美徳とする文化もあるので、表情が豊かな人をあまりいい方向に捉えられない人も多いかもしれません。

 

もちろん一方的に、健聴者が理解しなければいけないわけではなく、ある場面では、表情を抑えたコミュニケーションをした方がいいということも、難聴の人は理解する必要があるかもしれません。

 

そういうところをつなげていくことは、住みよい共生社会にしていくために僕にできる一つのことかなと思いました。

 

アンテナを拡げて物事を見ていきたいと思います。