4/18(日)に、第19回の定例会を開催しました。
今回のテーマは、
「3歳児・小学校の進路選択の考え方」
です。
3歳児は、特別支援学校の幼稚部が始まる時期であり、その時点で、幼稚部に行くかどうかという選択があります。
また、3年後には、小学校に上がるときに、特別支援学校に行くか、地域の小学校に行くかという選択がまた出てきます。
この進路選択をするにあたり、どういう判断基準を持って考えればいいか?
その考え方が何を調べてないので、経験と勉強したことを基に作ってみました。
考え方としては、3つの基本前提があると思います。
1.母語を何にするか?(日本語or手話)
2.日本語力が育っているか?
3.子どもが過ごしやすいか?
1は、親の方針や希望の部分です。
2が、本人の状況。これは、親が判断するのではなく、専門家と一緒に見極める必要があります。
そして、3が、本人の希望(もちろんこの歳では明確な希望を出せない場合は多いですが)の面で、
この3つで総合的に考えることで、ベターな選択ができるはずだと思います。
あくまでベターな選択であって、ベストな選択という必勝法はないと思います。
だから、選んで、もしもダメなら別の方法に変更するという形を取ればいいだけです。
進路は、一度選んだら変更はできない一本道ではありません。
変更は可能です。
そして、変更するにも、判断基準が必要です。
その判断基準が先の3つの基本前提です。
そして、もう一つ大切なことが、親子でネイティブレベルで話せる言語を持っておくことです。
これがズレてしまう典型は、聞こえる親と、手話を母語にした子の例です。
この場合、親が手話をあまり使わず、日本語だけで子どもと話そうとしたり、子どもに、手話ではなく日本語で話せとなったりすると、子どもは自分の細かい気持ちを日本語では伝えられません。
なぜなら、日本語と手話は全く別の言語であり、手話を母語にした子どもに対して、「日本語で話せ」というのは、外国語で話せと言ってるのと同じだからです。
もし、僕が 、親に「言いたいことがあるなら英語で話せ!」と言われたら、当然、細かいニュアンスは伝えられません。
大雑把な事しか話せないし、相手の言ってることも大雑把にしかわからないので、当然理解し合えません。
家庭の中で孤立していくのは、こういうことです。
なので、日本語にしろ、手話にしろ、親子で、共通にネイティブレベルで話せる言葉を合わせておかないことには、細かい意思疎通ができないことになります。
聞こえる親で、子どもの母語を手話にするなら、親は必至で手話を勉強する必要があります。
難聴児の進路って、いろんなことを考えていく必要があるんですよね。
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